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2019年10月にIR-1ビザを取得しました。(グリーンカードを取得するためのビザ)2019年の年末に渡米。東京の下町からマサチューセッツに引っ越しました。今までのビザプロセスや渡米後のいろいろを綴っています。(`_´)ゞ

ペンシルバニアへ

今週は、旦那の祖母が危篤になり、急遽、レンタカーを借りてペンシルバニアまで行くことに。

 

マサチューセッツからペンシルバニアは同じ東海岸でもなかなかの距離なので、片道7時間、かかりました・・・。果てしなかった。

 

日本だったらどこでも電車ですぐに移動できるけれど、アメリカはそうはいかない。アムトラックという電車があっても、かなり不便・・・。車で行くより時間がかかるというマジカルな計算になるので、レンタカーを借りて車で行きました。私は運転できないので、万次郎に任せっきり、NYで渋滞に巻き込まれ、片道7時間半・・・。(日本から飛行機でハワイに行ける時間くらい。)

 

事前に調べたルートを元にグーグルマップのアプリのナビで行ったのですが、このグーグルマップのナビ、途中で勝手に早いルートに変えてしまうんですよ・・・。おかげで避けていたNYの都市部をいつの間にか通るルートになり、ニュージャージーへ渡るジョージワシントン橋の渋滞に巻き込まれ、余計なタイムロスに・・・。

 

マサチューセッツを朝出て、コネチカット、ニューヨーク、ニュージャージー州を過ぎて、ようやくペンシルバニアに着いたのはもう夕方でした。

 

万次郎の96歳の祖母は20年前からずっと老人向けの住居に住んでいて、最近、具合が悪くなった後はその敷地内にあるホスピス施設に滞在していました。今週に入って危篤になり、医者から家族は会っておいた方がいい、と言われ、私たちも行くことになったのですが、私がアメリカに来るのを楽しみにしていてくれた万次郎の祖母、こんな形で再会するとは思ってなかったので残念です。

 

祖母は延命処置を望んでいなかったので、自然に任せて、痛みを和らげるための薬だけを投与されている状態でした。なので見ているのが辛かった。万次郎の母と姉はコロラドから、伯母と伯父はフィラデルフィアから集まり、みんなで見送りました。滞在中はほとんど施設内にいたので、外に出ることはあまりありませんでした。なかなかリッチな施設だったので、不自由はなく、敷地内のダイニングルームもホテルのブッフェのようでした。(老人向けのせいか、味付けもしつこくなくシンプルで私にはちょうど良かった。)

 

正直、最近のコロナのことがあるので、私がそういった施設に行ったら、もしかして何か言われたりするかも?と思ったのですが、全くなく、逆に住居人の皆さん、フレンドリーでした。ただインフルエンザの予防接種をしてない人はマスクしてください、という指示はありました。

 

万次郎の仕事の兼ね合いで、私たちは金曜日には帰らないといけなかったので、最後に祖母に挨拶をして、また長いドライブに。今度はNYを避けたルートをメモっておいたので、のんびりとしたルートで帰りました。それでもやっぱり6時間はかかった・・・。

 

祖母は頑張っていましたが、私たちが帰った後、閏年の2月29日の明け方に旅立ちました。命日、どうなるんだろうか。とか、素朴な疑問が。

 

4回結婚をして、人生を謳歌した祖母、いつもおしゃれで、乙女な人でした。

 

またいつか会える日まで。